「冨士建材」あらため「フジケンザイ」の「なぜ?」 そんなギモンにお答えします!

こんにちは、八戸市のリフォーム会社 hausフジケンザイです。

4月1日より、当社株式会社冨士建材は、「株式会社フジケンザイ」へと社名変更いたしました。長年お付き合いいただいている皆様から「なぜ?」という声もありましたので、あらためてその理由についてお伝したいと思います。

株式会社冨士建材は、昭和38年、田中金次郎によって創業されました。金次郎さんは、現在の田中周一社長のおじいちゃんです。金次郎さんは大正8年、百石の農家の8人兄弟の3男として誕生。幼いころから苦しい家計を助けるために行商をして家計を助けました。村で作った煮干しをもって地方を歩き、お金がない人には野菜と物々交換をするなどして、大人顔負けの商才を発揮したそうです。

14歳の時に、商業高校への進学を貧しさゆえに断念します。その時、金次郎さんの才覚を見込んだ父の弟で風呂屋「冨士乃湯」を経営する事業家の要之助さんのいる八戸来ることになりました。金次郎さんは「冨士乃屋」の名で古着販売を開始、やがて新品も扱うようになり大成功し、17歳で一人前の商人になったのです。

「冨士乃湯」「冨士乃屋」も「冨士」には、「富士山」と異なり、冠の点がありません。これは、「今はまだまだ努力の時、いつか日本一の富士山のように頭に点がつけられるよう頑張ろう」との想いで、要之助さんが命名したそうです。

当時は、戦争に向かってまっしぐらの時代。金次郎さんもやがて召集され、あの最激戦地「硫黄島」に送られました。金次郎さんは筆舌に尽くせないほどの苦難を乗り越え、奇跡的に生還します。そんな金次郎さんが、終戦後、時代の変化をいち早く読み、住宅ブームの到来に目を付け、「冨士乃湯」「冨士乃屋」の想いをそのままに継承した「冨士」を社名に付けた起ち上げのが「冨士建材」でした。

現在の田中周一社長は金次郎さんから、「目指す冨士山の頂は遠くまだまだ歳月が必要だ。周一、お前にその想いを引き継いでほしい」と託されたのです。

創業者金次郎さんの想いをそのまま、このたび、より親しみやすい会社をめざし、漢字からカタカナの「フジケンザイ」と変更することになったのです。「リフォームのhausフジケンザイ」と覚えていただければ幸いです。

創業者の金次郎さんがどのようにして奇跡の生還を行い、事業を発展させてきたのかは、「ある商人の一生~八戸、硫黄島を駆け抜けた誠の心~」蓮見太郎著に詳しく記されています。ご興味がありましたら、当店までご連絡ください。一冊進呈させていただきます。